
「ROSE&BLOODとは?」
ROSE&BLOODとは]が解散した翌年の1998年5月2日hideさんが亡くなり...彼等を敬愛し彼等が居なければバンドもやっていなかった若者5人が]の代わりに俺達が彼等の曲をコピーし残された]ファン達に感動を伝えて行きたいと言う願いから結成された]コピーバンドであった。またROSE&BLOODとは]が以前行ったROSE&BLOODツアーというライブツアーの名称から由来のある名前である。最初はドラムスピアノの「Teily」とベースの「Shadow」で結成され後にここにギターの「Yuki」が参加し3人の知り合いであったもう一人のギターの「HISA」も一緒にやる事になりヴォーカルは不在であった...そこでHISAが思い付いたのは一番最後にやったライブで失敗し挫折しバンドから遠ざかっていた「AKIYA」という人物であった。HISAもAKIYAに何があったのか?は当時一番詳しく知っている人物でありすぐにはAKIYAにこの事で声は掛けなかった...しかしHISAの悩んだ結果はそんなAKIYAに「今度こういうライブやるんだが、あんたがヴォーカルやる気は無いか?」とラブコールをかけた...そしてAKIYAは「解った...失いかけた夢を...もう一度追いかけて見る!!」こうしてROSE&BLOODは結成されたのであった...
「ROSE&BLOODの活動の軌跡」
ROSE&BLOODの最初のライブは1998.12.29原宿ロスアンジェルスというライブハウスでワンマンで行われた]に代わり独自に行ったワンマンライブであった...客数は約70人これらの客はROSE&BLOODのメンバーやAKIYAの統制するEGOIST集団の活動で縁し連れて来られたという感じの客ばかりであった...「どんなLIVEが始まるんだろう?」]ファン達は皆色々な思いを抱き開演を心待ちにしていた...するとオープニングSEの「AMETHYST」が流れROSE&BLOODメンバーによるRusty Nailの演奏が始まりそれと同時に当時]ファンの中でも有名になったROSE&BLOODの伝説が幕を明けたのであった!!
この日のライブは語ると語り尽くせない程色々あったが最大なのはやはり最後の締め...]、ENDLESS RAIN、と感動の曲を演奏し会場も70人位であったが絶好調に盛り上がったが最後に来たのは「THE LAST SONG」会場は悲しみに包まれ何でこんな悲しみが繰り返される曲を最後に演奏するのか?と...マジ空気嫁...とどっかから言われそうな空気に会場はなりTHE LAST SONGの演奏も終わり悲しみからすすり泣く]ファンの声も聞こえて来たと思いきや「ドンドコドンドコスコドコドンドコ...」とTeiryが突然ドラムを叩き出し会場に明るい照明の光が再び射しTHE LAST SONGを歌い終わり楽屋に帰って行ったAKIYAがEGOIST集団の総長の特攻服の「爆裂昭也」を身にまとい現れ「こんな終わり方じゃ年は締めくくれねえなぁ!!てめえ等俺と裸の付き合いしようぜ!!」と会場のド肝を抜く現証が起こりなんとTHE LAST SONGの前に演奏してた]がもう一度演奏されAKIYAは当時某アイドル(名前は恥ずかし過ぎるので簡便して下さい)のライブでも特攻服を着ていたのだがそのAKIYAの某アイドルの場で着てる特攻服をここに居たカメラマンのAという人物が着てステージに上がり込んで]ファンをAKIYAと共に煽りその光景を見た]ファン達はあまりの出来事に一気に頭の中が衝天し皆元気になりこうしてこの日のライブは成功しROSE&BLOODの存在は]ファンの中で伝説となり一気にその評判は広まったのであった...

その後1999.8.1に横浜市鶴見区にあるCLUBTOP'Sというライブハウスでオルガスムサミットというのが行われROSE&BLOODが中心でバンド仲間達とサミットを開きAKIYAもhideコピーでakiya'WITH SPIRITSラブジェットと言うユニットで参加し客数は約100人と1回目のライブの成功が始まりで]ファン界でカリスマになっていたが...

しかしROSE&BLOODの最後はあっけないもんでファンになった女とメンバーの恋愛や人間関係のゴタゴタから解散という事になってしまい本当は1っ発目のライブの1年後の年末にもう一度カウントダウンワンマンライブの予定もあったがその話も流れROSE&BLOODは1999.10.11にAKIYAの母校である横浜市立神奈川中学校の講堂で行われたイベントで参加したライブを最後に解散という形になった...
しかしAKIYAは数年経った今でも機会があればまたROSE&BLOODを結成したいと心に抱いている...
ROSE&BLOOD TOP